「JABLONEX(ヤブロネックス)グループ」は、
チェコ共和国、リベレツ州の北ボヘミア地方に属する
「Jablonec nad Nisou(ヤブロネツ・ナド・ニソウ)で
1952年にチェコスロヴァキアに設立された企業です。
”ジュエリー” ”ガラス” ”ビーズ” ”コインやメダルの製造”
の4部門で構成された、何世紀にもわたりその輝かしい美しさで
世界を魅了してきたボヘミアンガラスとコスチュームジュエリーの
サプライヤーでした。
北ボヘミア地方では9世紀頃からすでにガラス製品が作られていた
という記録があります。
「Jablonec nad Nisou(ヤブロネツ・ナド・ニソウ)が位置する
北ボヘミア地方は、”カリガラス”と呼ばれる
”透明度が高く、硬質で、そして軽い”ボヘミアンガラスの源となる
酸化鉄の含有量が微少な珪砂や、酸化カリウムの抽出や加熱に必要な
木材などの天然資源に恵まれていたことから、
山あいの小さな町や村の主な収入源はガラス製造業でした。
ヤブロネツ・ナド・ニソウもガラス製造が盛んな地域の1つとして
1356年に文書にその地名が記されました。
ヤブロネツ・ナド・ニソウを含む北ボヘミア地方では、ロザリオ用のガラスビーズや花瓶、教会のステンドガラス、
ランプワークビーズやガラスボタンなどが製造されていました。
そして、1732年にガラスボタンの金型が発明され、続いて1832年にガラスビーズの金型が発明されたことに加え、
クリスタルビーズの機械切断技術の発展により、ヤブロネツ・ナド・ニソウは世界有数のボヘミアンガラスの生産地と
なりました。
第一次世界大戦後の1918年、チェコとスロヴァキアがチェコスロヴァキア共和国として建国後も、
ガラス産業は衰える兆しは見られず、1920年代前半のヤブロネツ・ナド・ニソウの輸出は、
チェコスロバキアの全輸出の8%を占め、1928年までに、チェコスロヴァキアは世界最大のガラスビーズの輸出国へと
成長していきました。
1945年から1948年までの”チェコスロヴァキア第三共和国”時では基幹産業の国有化が進み、ガラス製造業も国有化され、その規模は”高い煙突と通気口のある屋根”が特徴だった家内制手工業の規模から大規模工場化へと拡大し、
1952年に国営企業として設立された「JABLONEX グループ」は、世界90か国に流通ネットワークを構築し、
チェコスロヴァキアからのガラス製品すべての輸出を統制する役割を担っていました。
1989年の”ビロード革命”により共産主義は終焉を迎え、その後、1993年にチェコとスロバキアが平和裏に分割し
チェコ共和国とスロヴァキア共和国の2つの国が建国されました。
ヤブロネツ・ナド・ニソウがある北ボヘミア地方は、
チェコ共和国圏内にあったため
「JABLONEX グループ」はチェコ共和国に属しましたが、
民営化へのプロセスが始まったことにより
「JABLONEX グループ」は国営企業時のような独占権を失い、
ヤブロネツ、リベレツ、トゥルノフにある25の中小企業と工場が合併した
「PRECIOSA(プレシオサ)」のような大企業も設立され、
誰もが自由に世界中に自社製品を輸出出来るようになりました。
その結果、「JABLONEX グループ」の競争力は著しく低下し、
多くの従業員が解雇され、サプライヤーも閉鎖に追い込まれていきました。
経営困難に陥った「JABLONEX グループ」は、
本社社屋を含む不動産の売却など段階的に規模縮小を続け、
2009年「JABLONEX グループ」は部門ごとで閉鎖や分社化と言う
結末を迎えました。
ボタン製造部門は閉鎖となりましたが、「JBX Retail sro」を設立し、
「JABLONEX グループ」の伝統と品質を受け継ぐを自社ブランド
「JBX BIJOUX Made in Czech Republic」をスタートさせました。
ちなみに「JABLONEX グループ」の旧社屋は、
「PALACE PLUS」と言う、ヤブロネツ・ナド・ニソウで活動する
50社以上の企業の5,000以上の種類のコスチュームジュエリー、実用的なガラス製品、伝統的な手仕事で装飾されたガラスのクリスマス装飾品、ハンドメイド用のパーツを提供する、1日滞在してもまったく飽きること
のない観光名所になっています。
こちらの動画は、歴史的にもとても興味深い内容です。
時間的には短い動画ですが、冒頭の水槽のシーンに始まり映し出される女性のファッションやアクセサリーの
デザインは、今見ても新鮮です。